5/16(火)
アニメ「桜蘭高校ホスト部」と「涼宮ハルヒの憂鬱」。
主人公の名前が同じだという、ただそれだけの理由で両者を比較・分析してみました。
どちらも個人的に「上手い」と思う作品なのですが、その性質はかなり違います。
まずは「桜蘭高校ホスト部」から。
野球にたとえると、「ホスト部」は豪速球のストレートなんですね。
アニメという舞台において原作の良いところを最大限に発揮するその手腕は、見事としか言いようがありません。
双子絡みのエピソードやれんげの暴走っぷり、そして完璧としか言いようがない第1話なんかはアニメならではの表現であり、それでいて原作のイメージを損なうことなく綺麗に再現してるんですよ。
この真正面からのためらいのない攻撃、圧倒的な破壊力が桜蘭高校「ホスト部」の魅力です。
一方、「涼宮ハルヒの憂鬱」も野球にたとえるなら、こちらは魔球ばりの変化球なんですね。
忠実な再現という意味では「ハルヒ」も同じですが、第1話から例のあれだったり、ブツ切りな話の進め方だったりと、かなり冒険してますよね。
でも考えてみたら、「ハルヒ」というボールはこういう無茶な変化球でしかストライクを取れないような気がするんですよ。
今のペースだとおそらく「消失」まではやらないでしょう。
となると最大の見せ場は「憂鬱」のラストしかない。
正攻法で攻めた場合、「憂鬱」は6話くらいで終わりますよね。
それでは後が続かない、まず確実に終盤はだらける。
「だったら『憂鬱』を最後に持ってくればいいじゃない」
ということで今に至るのだと思うのですよ。
発想の転換、アイデアの勝利。
こういう、既存のやり方にとらわれない自由度の高さが「ハルヒ」の魅力だったりするわけです。
もちろん「憂鬱」のラストが最終回かどうかはまだ分かりません。
とっておきの隠し球を用意している可能性は充分に考えられます。
本当に先が読めませんからね、このアニメ。
両者の共通点としては「原作を尊重する」というところですね。
調理方法の違いはあれど、素材の旨みを活かそうとする心意気には非常に好感が持てます。
面白い作品を作ろうとする気持ちが伝わってくるんですよ、実際。
あとはまあ、メインキャラが果てしなくうざいのも同じですね。
涼宮ハルヒはうざくていいんですよ、そういう目的で作られたキャラクターなんですから。
「ホスト部」のキング・須王環がうざかわいいのと同じです。
そういううざいキャラを愛でるのも一つの楽しみ方なんですよ。
二人ともウザデレなんですよ。
そんな感じで、「ハルヒ」という単語は色んな意味で今年のキーワードになりそうです。
藤岡ハルヒはいいハルヒ。
涼宮ハルヒは悪いハルヒ。
5/18(木)
16日の補足。
両者のハルヒについて「いい」「悪い」と言ったのは善悪のことです。
そのキャラが持つ性質について述べたまでです。
決して他意はありません。
藤岡ハルヒはいい子ですよね。
どんな逆境にも不満をもらさず、彼女なりに精一杯生きてる。
悪意なんてかけらも感じられない。
こっちは何も問題ないですよね。
では、涼宮ハルヒはどうでしょう。
はっきり言って彼女は「悪い子」ですよね。
「良心」という言葉がこれほど似合わない奴もいませんよね。
でも涼宮ハルヒはそれでいいんです。
彼女は悪という立場でこそ輝く存在なんです。
「ドラゴンボール」のフリーザ様は悪ですよね。
「るろうに剣心」の志々雄真実は悪ですよね。
私の中では、涼宮ハルヒはフリーザ様と同じなんですよ。
倒すべきボスキャラなんですよ。
まあこうやってつい熱く語るのも、「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品に対して思い入れがあるからなんですよね。
なんだかんだと愚痴をこぼしながらも原作は全巻読んでますし、アニメもほとんど不満ありませんし。
いや、もちろん涼宮ハルヒ本人のことは好きでもなんでもないんですけどね。
本当ですよ、好きなわけないじゃないですか。
照れ隠しなんかじゃないですよ、誤解ですよ。
ち、違うって言ってるでしょ、バカ!
勘違いしないでよねっ!
あんたなんて、ホントのホントに大っ嫌いなんだからっ!!
……そんな感じでお願いします。